劣等感を乗り越えて、自分のことを認められるようになるには【ココロノマルシェ】

ココロノマルシェ

【自分のことを認められる私になりたい】

小さい頃から今まで、「他人と比較して、自分が劣っていることを探す」ことをやり続けてきたので、無意識に「周りが褒められる」という出来事を、「自分が劣っている」と解釈することが癖になってしまっているのかもしれません。

ならば、「妹が褒められているのを見て、自分が劣っているような気がした」時の悲しみを、しっかりと感じ切って、手放していくこと。

そうすれば、「誰かが褒められているのを見て、自分を劣っていると解釈する」という自己攻撃も、自然と和らいでいくはずですよ。

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ココロノマルシェにご相談頂いた内容に回答しています!

自分のことを認められる私になりたい
私には妹と弟がいて、子供の時から妹と容姿や行動について比較されてきました。 妹は色白、美人で行動的だと言われて育ちました...

私には妹と弟がいて、子供の時から妹と容姿や行動について比較されてきました。

妹は色白、美人で行動的だと言われて育ちました。

私はその逆だとはっきり言われたことはありませんが、誰かが妹のことを褒めているのを聞くと私はそうじゃないんだと捉えてきました。

そのため、私は他人と比較する癖が治りません。

たとえば、仕事ができる人や容姿が整っている人が周りにいて褒められたりしていると、私はダメなんだと勝手に劣等感を感じてしまいます。

他人に左右されている自分が情けないです。

また、親や妹に怒りの感情が湧いてくる自分に罪悪感も感じます。

どうしたらこの生きづらさや思考癖から抜け出すことができるのでしょうか?

自分の中では何か特別な自分(ステイタスを持つ等)にならないと、みじめな私で人生終わってしまうのではと思っています。

セミナーに参加したり、本などで勉強をしていますが、大きな成長も感じられず焦りと不安が入り混じった気持ちですごしています。

(Nayamiさん)

弟子29号、サトヒです!

こんにちは~

他人と比較しちゃうこと・・・、ありますよね~。

だって・・・

にんげんだもの byみつを先生

仏教では、他人と自分を比較する煩悩を”慢”と呼ぶそうで、それは悟りの段階まで、消えないものと言われているそうです。

つまり、「自分と他人を比べるのをやめる」ということは、「悟りを開いて人間をやめる(仏になる)」ことと、ほぼイコールだということ。

そいつぁ~、なかなか無理な話ですぜ・・・Nayami姐さん。

ただ、根本先生の読者の方ということは、Nayamiさんも「武闘派」であることは疑いのない事実ですので、つい悟りロードを爆走したくなってしまう気持ちもわかるんですがね・・・

ま、冗談はさておき、現世を人間として生きる我々にとって、「比較する気持ち」はどんなに逃げても追いかけてくる、根深い欲求だということ。

逆に言えば、とっても「人間らしい」とも言えるわけですね^^

まずは、そんな「比較しちゃう自分」を、そんなに悪者にしないであげてくださいね、というお話から始めさせて頂きました。

愛しているからこそ、怒りを感じる

Nayamiさんもご自身で分析されている通り、下に妹や弟がいれば、誰だって比較されるものですし、そこで多かれ少なかれ心が傷つく(ハートブレイク)経験もあるはずです。

色白で美人と言われている妹がいるのなら尚更、自分と妹を比較して、自信をなくしてしまうこともあると思います。

それは、しょうがないですよね。

ただ、

>親や妹に怒りの感情が湧いてくる自分に罪悪感も感じます。

とのことですので、その当時の感情・・・例えば

妹が褒められると自分が否定されているように感じて、悲しかった気持ち

妹ばかり褒めるように見えた親への苛立ち

もっと自分のことを見て欲しかった、認めて欲しかったという孤独感

などのネガティブな気持ちを、我慢して封じ込めてきてしまったんじゃないかな?って思ったんですね。

そういった気持ちを大人になった今でもうまく消化できないまま、同じような環境で、当時の感情を再確認し続けているのかもしれません。

だけど、Nayamiさんが悲しみや寂しさを我慢したのはなぜなんでしょう。

私には、Nayamiさんはご両親のことも妹さんのことも弟さんのことが、大好きだったからじゃないかなって思うんです。

だからこそ、自分のネガティブな感情で大切な人たちを傷つけたくなくて、自分の本当の気持ちは心の奥底にぎゅーっと閉じ込めて、隠そうとしてきたんじゃないかな?って思うんです。

今は、もしかしたら怒りの感情の方が強くて、その奥にある気持ち(大好きって思う気持ち)を素直に感じることができないかもしれません。

だとしたら、その表面にある怒りの感情はちゃんと感じてあげて欲しいのです。

誰よりも、自分のために。

以前の回答にも書いたことがあるのですが、子どもって親のことが大好きだから、怒りを感じることに罪悪感を覚えやすいのです。

大好きなのに、怒ってしまう。その一見矛盾する感情を、受け入れ切れないんですね。

だけど、本当は矛盾じゃないんです。

好きだから、愛してるから、腹が立つんです。

愛しているからこそ、愛されたいと強く願うものだし、だからこそ、それがうまく叶わないことに傷つき、怒りを感じるんです。

だから、その怒りは、愛するが故の気持ちです。

だから、安心して、怒って大丈夫なんです。

ですので、まずは自分のために、自分が我慢して感じないようにしてきた、怒りや悲しみを、しっかりと受け止めてあげてください。

これは、お恨み帳などで書き出してもいいし、一人で難しい場合は、誰か信頼している人に聞いてもらったり、カウンセラーの力を借りるのも良いと思いますよ^^

心の傷を癒し、解釈のフィルターを変える

>どうしたらこの生きづらさや思考癖から抜け出すことができるのでしょうか?

これについては、小さい頃から今まで、ずっとずっと「他人と比較して、自分が劣っていることを探す」ということをやり続けてきたので、一朝一夕で変わるのはちょっと難しいと思います。

今のNayamiさんは、「周りが褒められる」という出来事を、「自分が劣っている」と解釈することに慣れてしまっているんですね。

でも、逆に言えば、それはただの考え方や捉え方の癖でしかないので、その癖を手放すことができれば、Nayamiさんが感じている今の生きづらさも、少しずつ楽になっていくはずです。

幼少期に比較されて傷ついた心が癒えていなかったから、似たような経験で、まるで傷口に塩を塗られるかのように、古傷が痛んでいたんです。

だから、「妹が褒められているのを見て、自分が劣っているような気がした」時の悲しみを、しっかりと感じ切って、手放していくこと。

そうすれば、無意識に「誰かが褒められているのを見て、自分を劣っていると解釈する」ということをしなくて済むようになっていくはずです。

>自分の中では何か特別な自分(ステイタスを持つ等)にならないと、みじめな私で人生終わってしまうのではと思っています。

自分を劣っている人間だと攻撃することをやめることができれば、「ステータスを持った特別な自分」にならなければいけないと、自分を追い立てることも無くなっていくと思います^^

だけど、その気持ちがあったからこそ、セミナーに参加したり、本を読んで勉強したりと、自分を成長させるべく頑張ってたということもあるのではないでしょうか?

その気持ちが、Nayamiさんの「向上心」という才能を、大きく伸ばしてくれたという一面もあると思いますよ。

苦しい気持ちもたくさんあったけど、そこにはちゃんと「才能」というギフトも用意されていたんです。そちらにも、目を向けてみましょう。

本当は、妹さんには妹さんの、弟さんには弟さんの、そしてNayamiさんにはNayamiさんの、それぞれの良さがありますよね。

「みんな違って、みんな良い」

私の子どもが通っている保育園の保育方針なのですが、本当にそうだなぁって思うんです。

ご両親だって、ちゃんとそれをわかっていたはずです。だけど、それを言葉でうまく伝えることができなかったのでしょうね。

それを赦してあげられますか?

当時のNayamiさんは、それを誰にも教えてもらえなかったから、自分らしさがダメなものだと、自分には何もないんだと思い込んでしまいました。

そして、その誤解を長い間手放せずに、苦しい思いをし続けてたんですね。

だから、これからは、大人になったNayamiさんが、心の中にいる小さい頃のNayamiさんに教えてあげてください。

「あなたには、こんなにたくさんの価値があるよ」って。

Nayamiさんが自然とできることってなんでしょうか?

Nayamiさんの好きなことってなんでしょうか?

Nayamiさんが努力してきたからこそ、得られたものってなんでしょうか?

「自分が劣っている」という思い込みは、長い間”自分の劣っていると感じる部分”に目を向けさせてきました。

今度は、意識的に自分の持っているもの、できること、やってきたことを、しっかり見てあげる癖で上書きしてしまいましょう^^

Nayamiさんが、Nayamiさんらしい素晴らしさに気付き、その個性を、これまでに得てきたたくさんのものを、愛してあげられることを祈っています!

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