やりたい時にやりたいことをやれる私になりたい・後編

お金

愛あるみなさま、こんにちは!

サトヒです。

思いつくままに書き殴っていたら、超絶長くなりすぎたので、無理やり前編・後編に分けてみました。(笑)

前回の話はこちら。

後編は、TVの買い替えについての夫との激論の末、自分が潜在的に持ち続けている「お金の不安」に気付いた話の続きからDEATH!!

ちょっと話は変わるのですが、私はなぜか「未来のビジョン」とか「ライフワークストーリー」のようなものを思い描くのがヘタクソでして。

自分が何を欲しているのかが、具体的にわからないんですよね~。(クライアントさんとかには、具体的にイメージしてみて!とか言う割に、自分はできてない典型。みなさま、どうもすみません。)

昔、京都の鈴虫寺というところに、中学校の修学旅行でお参りしたことがあるのですが

「どんなことでも一つだけ願い事が叶う」と言われて、本当は当時好きだった人との恋愛成就を願うつもり満々だったはずなのに

実際にお願いする場面で、欲張りすぎて一つに決められなかったせいなのか、何をお願いしていいかわからなくなり、血迷った私は

「幸せになれますように」

という漠然かつ、結果のわかりにくいお願い事をしてしまったことが、今でも忘れられません。(笑)

数か月前に受けていた某高額コンサルでも、「ゴールを決める」という宿題がなかなかできなくて、何を書いてもピンとこない感じがしていたのだけど

その時に、私の根幹にあるのは「やりたいことをやりたい時にやれる自由が欲しい」という気持ちだったことに気付いたのでした。

漠然とたくさんお金を稼ぎたいと思ってしまうのも、そのため。「自由」でいたい気持ちのため。

人生の余白を残しておきたいから、「自由」でいたいから、決めたくないのか??

よくわからないけど、私にとっての「幸せ」ってそういうことなんだなぁと、今は思っているわけですが。

そして、その「やりたいこと」というのは、その時々で移り変わるものだから掴みどころがなくて、なかなか具体的に書けないんですよね。

何か書こうとすると、「今はそう思ってるかもしれないけど、本当にそうなの?」とか、「本当にそれでいいの?」とか、横から思考的にチャチャが入るんです。だから、うまく書けなくて。

昔は、欲しいものをリストアップしたりしてたし、実際にそのリストを見返すと、大体手に入れてたりするので、具体的にイメージした方が叶うってわかっているのに、物欲が減っているのは歳を取ったせいなのかしら?(笑)

泊まってみたいホテルのリストでも作ろうかなぁ。でも、言葉にして書いてしまうと、それがなんだか目標みたいになっちゃうのが、もう窮屈で嫌なのかもしれないなぁ。

何か目標を立てて、それに向けて頑張るという生き方に、私はもう疲れてしまっているのでね。(笑)

そんなこんなで、いちいち考えすぎて、本質的なところまで掘り下げてしまうのが私のサガなわけですが。

そうしたら、最近立ち読みしたさとうみつろう氏の「0Rei」という本で

① やりたい時に、
② やりたいことを、
③ やれている状態が「幸福」

と直球で書かれていて、「やっぱりそうだよね!」と確信を持ったところだったのでした。(立ち読み後、購入しましたよ!まだ読み途中だけど、めっちゃ面白い。)

と、ようやくここで話が戻るわけですが、この「やりたい時に、やりたいことを、やれている状態」になるためのマストアイテムが、私の中では「お金」になっているんですね。(あくまで私の思い込みなのはわかってるから、それ以上は言わないで!!笑)

反面、「お金」は「安心して生きるための担保」でもあるわけです。

その結果、私にとっては「お金の不安」=「死の恐怖」となってしまうので、「やりたいこと」のために自由にお金を使うことが苦手なんですわ。

やりたいことやった結果、のたれ死ぬの怖いもん、私。

いやー、これでも随分お金出せるようになってはきたと思ってたんですけどねえ。

今回のTV事件で、まだまだだったことに気付いたのでした。

「TV」だけならまだしも、「車」という爆弾を突っ込まれたら、私の弱小「お金メンタル」は木っ端みじんですわよ。あゝ無念。

そもそも、夫と私のお金に対する感覚が全く違うことは、以前から気付いていました。

そしてそれは、「自己肯定感」の高さにも比例している気がしていました。

夫:自己肯定感高い。お金に対する不安が少ない。
私:自己肯定感低い。お金に対する不安が多い。

その違いがなぜ生まれたかというと、それはやはり家庭環境や、親の教育、親の考え方の影響が大きいのだと私は見ています。

夫の親は、お金に対して不安を感じていないというか、元々商売人ということもあって、お金との付き合い方が上手なように見える。それなりに、自分たちで築いてきた資産というのがある分、自信もあるのかもしれない。

それに夫は一人っ子なので、私から見ると”ジャイアニズム”を発揮しているように見える。

つまり「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの」というやつ。(笑)

夫に言っても、「何の話?意味不明。」って顔をされたけど、彼のお金に対する根本的な安心感は、「頼れるものがある」というところにあるんじゃないかと分析した私。

実際に後ろ盾があるということ、そしてお金について心配しなくても済む教育、環境に身を置いてきたこと。それが、彼のお金に対する安心感の秘訣なのではないかと。

一方私はと言えば、「うちにはお金がない」という典型的なオカンの呪いの言葉を真に受けて生きてきて、かつ心配性なオカンから「○○すると××になるよ!」という不安しか煽らない無自覚の脅しの応酬を受けて育ったわけです。

実際、我が家にどのくらいのお金があったのかを知る由もないし、私がやりたいと思うことを言えば、何かと”心配”という呪いの呪文で”罪悪感”を掻き立てられ続けてきたわけです。

結局、東京の私大で一人暮らしをさせられる程度のお金はあったみたいですが。

私がやりたいことをやったところで、路頭に迷ったりもしなかったし、一杯のかけそばを家族4人で食べるようなことも、一家離散になるようなこともなかったわけだし。

だけど、それも後から冷静になって考えてみればわかったこと。

未だに私の中では、呪いの影響は強く残ったままで「私がやりたいことをやりたいようにやると、いつかのたれ死ぬ」という思い込みが解けないままだったことに、今回改めて気付いたのです。

そして、そんな不安を抱えながら、ずっと生きてきた自分自身にも気付きました。

「私は、ずっとこの不安を一人で抱えてきて、それを自分でどうにかしなくちゃと思い込んで、自分でできる限りのことをコントロールして生きなきゃと、自立してきたのか」

そうせざるを得なかったとはいえ、それは寂しくて、切なかったことだろうに。不安になるのも、しょうがないよなぁって、客観的に思えたのです。

じゃあ、私はこの不安をどうしたらいいんだろう?

どうやったら不安を感じずに、自分や家族が価値を感じるものに、堂々とお金を出せるようになるんだろう?

と考えあぐねた末に思いついたのが、夫に「俺がどうにかするから、安心しろ」と言ってもらいたい、ということだったのでした。

夫は別にお金の不安が無いわけだし、ある程度お金をぼーんと使ってもどうにかなるだろうと、ある程度の根拠を持って思えているらしいので、「だったら、それを私に教えてくれたらいいのに!!」って思ったんですよね!安心感を一人占めするなや!って。笑

そうしたら、私はもっと安心して、快くTVだろうが、車だろうが、夫が良いと思うものにためらわずにお金を出せるかもしれないのに、って。

でも、そこまで考えて、自分で気づいたのです。

「あぁ、そうか。これまで私はずっと、それを自分に対して言ってあげられてなかったんだ」

と。

だとすれば、きっと外側がどんなに根拠を持って「大丈夫」だということを示してくれたとしても、私が自分自身でそう思えていなければ、受け取れないはずなので。

そして、私は「本当は大丈夫」だということを、誰にも教えてもらえずに来たんだということにも気付いたのです。

というか、オカンにそう言ってもらいたかったという期待のような、怨念の気持ちを捨てきれなかったのだと思います。

大人になって振り返った時に、「どうにかなっていた、大丈夫だった」ということがわかったとしても、「どうにもならないかもしれない、大丈夫じゃないかもしれない」と常に不安だった気持ちは、誰にも理解されずにずっと一人で抱えるしかないものだったのです。

元々不安の強い私を、安心させてくれる人がいなかった。むしろ、その不安を煽るようなことばかり言われ続けてきた。

私の不安を理解して、寄り添って、共有してくれる人はいなかった。

だから、こんなに悲しいのか。

だから私は、自分が感じている不安を、自分一人でどうにかしなくちゃって抱えこんできたのか。

誰も助けてくれないような、誰も頼りにならないような、自分の事は自分でどうにかしなくちゃいけないと思い込んできたのか。

そりゃ、しんどかったよなぁ。ようやく、わかったよ。

オカンの野郎!こんニャロめ!(根に持つタイプ。笑)

私、本当はただ「大丈夫」って言われたかったんだ。

何かしたいって言った時

「不安なことはどうにかするから、心配しないで大丈夫」

って、私は言ってもらいたかったんだ。

「何があっても助けるから、好きにやっていいよ」

って背中を押してもらいたかったんだ。

だから、「大丈夫」って言ってもらえなかった私に、これからは私が「大丈夫」って言ってあげよう。

何かやりたいことがあったとき、何か欲しいものがあったとき、お金の不安を感じている私がいたら

「お金のことは未来の私がいくらでもどうにかするから、好きにしていいよ」

って言ってあげよう。

私にとって「やりたい時にやりたいことをやれる自由」を手にするために必要なのは、きっとお金そのものじゃなくて「安心感」なんだと思う。

思えば、私がPCCで学んだ”サレンダー”に必要なのも「安心感」だったのでした。

セッションの中で「ホリエモンが全財産を無くしても、全然ビビってないのは、自分が稼げることを知ってるからだよ」という話があったけど

「どうにかなるだろうと思える気持ち」っていうのは、「自分なら自分を助けられる」という自信であり、「自分は自分を見捨てない」という覚悟なのかもしれない。

「私がどうにかするから、大丈夫だよ」

っていう気持ちを自分に対して持つことができれば、つまり、自分が自分の最大の味方であり救世主であろうとし続けていられれば

それこそが本当の「安心感」につながって、自分自身に「自由」を与えることができるような気がする。

いやー、久しぶりに思い出し号泣したし、夫とは激論しすぎて娘に心配されるし、不快な気持ちも多々溢れてきましたけど(これ書きながら、また泣いたし)

改めて「お金の不安」と向き合うことで、私が私をどう扱ってあげればいいかわかったので、終わりよければ全て良しとしましょうか。

長文での吐き出し、失礼しました!

ではまた。

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