愛あるみなさま、こんにちは。
サトヒです。
今日も今日とて、ブログのリハビリ中です(5日目)
土日祝日はお休みをいただいております(笑)
相変わらず、なんでブログが書く気にならないのかなぁというのは常に頭にあって、ついつい思考を巡らせてしまうのですが
今日気付いたのは、やっぱり「ちゃんとしなきゃ」病の影響が大きそうだなということでした。
上記ブログでも、その点には触れたけど、今日思ったのは
「カウンセラーとして、ちゃんとしたブログ」
を目指してるんじゃないかな、と。
振り返ってみれば、2017年9月からアメブロでブログを書き始めたのですが
当時は、ただただ日常で思ったこと・気付いたことを好きに書いてたんですよね。
元々、私のブログのスタンスってそんな感じで
自分が気になった事を勝手に考えて、勝手に掘り下げて、勝手に結論付けて終わるっていう
完全自己満足スターーーーーーイル!だったんですよ。
なのに、いつから何を血迷ったのか
「カウンセラーとして役立つ内容にせねば」
なんてエゴ(と言い切る)が出まくってたんだな、と。
ってか、そもそも私にそんなの求めてる人いる?って感じよ(笑)
どんな自意識過剰だよ…。(自意識過剰は私にとって初期設定だけども)
私は私の好きなようにブログを書きたいし、もしそれを読んで面白いと思ってくれる人が少しでもいたら嬉しいってだけだったのに。
それが、私の大切な初心だったはずなのに。
それなのに、いつしか「読んで楽しいと思ってくれる人がいたら嬉しい」ってことが、結果として付いてくる「おまけ」みたいなものじゃなく、「目的」ないし「目標」になっちゃってたのかもしれん。
達成すべき「目標」が設定された途端、急激にやる気がしぼんでいくのも私の傾向なんだよなぁ(苦笑)
やりたいことを、やるべきことにした途端、やる気が消滅して何もできなくなってしまう。
これ、私のパターンだな。
と長い前置きを書いたところで、今日のテーマは「自分を知りたい気持ちとカテゴライズへの抵抗」について。
最近恒例のChat GPTさんによるまとめ。
著者は長らく他人軸で生きてきたため、自己理解が不足しており、自分が何者かを知りたいという願望が強い一方、自分をカテゴライズすることに抵抗があります。さらに、自分の性格や特性を客観的に理解するためにさまざまな診断テストを受けたり、他人の意見を参考にしたりしてきましたが、自己定義には消極的です。
最終的に、著者は自分を決めつける必要はないとし、自分の傾向や特性を客観的に知ることで、自分自身を理解し、生きやすくすることが大切だと結論づけています。
HSP or not?
ここしばらく、懇意にしてくださっている(むしろ、私が懇意にさせて頂いている)クライアントさんがいらっしゃるのですが
その方とは長らくメールで深いやり取りをさせて頂いているのですが、やはり私を選んでくださるお客様とは、切っても切れないご縁のようなものがあると感じておりまして。
(注:ブログ掲載についてご本人の許可を頂いております)
なんか、思考回路がめちゃくちゃ似ている。
バックグラウンドも全然違うし、お客様が自分のことを書いているはずなのに、あれ?私のこと?って混乱するくらいに似ている部分が多い。
最近、その方とメールでお話しする中で「HSP」という話が出て。
「HSP」って、皆様ご存じですよね。
Highly Sensitive Personの略で、いわゆる「繊細さん」と呼ばれる人たちの総称みたいなやつ。
精神医学的な病名とかではなくて、その人の特性を現わす心理学的な定義なんだけども
以前から、私もクライアントさんも、その言葉は知っていたし、なんとなく自分はそれっぽいという自覚は薄々あったけど
だからと言って、自分を「HSP」と認識はしてなかったのですよね。
とりあえず、自分の感受性は思ったより高そうだ。
よって、本質的に女性性が優位なのかもしれない。
確かに、女性性が強い人の特徴も当てはまるな。
それ故に、他人との境界線が曖昧で、他人軸になりやすいっぽいから気を付けた方が良さそうだな。
その程度の自己認識で、それをいちいち「HSP」という特性に紐づけて考えたことはなかったのですね。
しかし、改めてHSPの「あるある」的傾向を見てみると、やはり当てはまることが多いなぁということで、お互いに「私たちはHSPなのかもしれない」という話になり。
そこから、HSPの特性や、その特性への対処法をあれこれ調べてみたら、めちゃくちゃ役に立ちそうなネタがありまくりーぬで(笑)
あれ?やっぱりHSPなん?
っていうのが、今ココ。
私は〇〇ですって言いたくない心理
元々自分をHSPとカテゴライズすることに、めちゃくちゃ抵抗があった私。
いや、HSPだけじゃなく、何であれ自分をカテゴライズするのがあまり好きではない。
例えば”自立系武闘派女子”みたいに、ネタとして話す分には全然問題ないのだが(笑)
自ら、「私ってこういう人なんです!」と高々と表明することに抵抗があるのである。
だから、ブランディングとかも苦手(蛇足)
とかいいつつ、私は自分を知るために、心理テストやMBTI診断とかストレングスファインダーみたいなテストを受けるのが大好き。
そこで出た結果を見て、「私ってこういう人なんだー」と客観的に自己理解を深めていくのが好き。
でも、そこで出てくる結果というのは、自分のある一部の特性を切り取って表現された「傾向」であって、私そのものを現わしているものではないと、頭のどこかで思っている。
「私って、確かにこういうとこあるかもな」
で、以上終了。
それを、「私=○○」と言い切りたくない私がいる。
自分を定義づけることで、「自分ってこうだから」と枠にはめて自分自身を捉えてしまうのもイヤだし
他者から、その性質だけを切り取って「あなたって、こうだよね」と見られるような気がするのがイヤなのかもしれない。
実際に、とある診断にハマっていた知人は、周囲の人にその診断を受けさせて
「あの人は○○だからこういう人」、「あの人は●●だから私とは合わない」などと決めつけて見ていたのがイヤだったというのもある。
(その反面、私も男子は~女子は~などと、性差によって言動の裏側を想像したりするので、人のことは言えない気もするが…)
例えば、「私ってHSPなんです」と外側に表現したら、私に「繊細さん」のラベルが貼られるような気がする。
でも、それって私の一部の性質であって、全てじゃないよね?と思う。
時に、繊細な部分もあるけれど、全くもって鈍感な部分もある。
人の気持ちを感じ取っているような気がして、実は単に自分の感情の投影なだけで、全くの勘違いかもしれない。
それを、繊細だとか感受性が高いとか言ってたら、私にとっては「恥ずかしい」の極みである。
私が思う「繊細さん」や「HSP」は、自分よりももっと繊細で感受性の強い人な気がするし。
たかだか、私程度のレベルで、それを名乗るわけにはいかない、みたいな謎の思いも出てくる(笑)
私が感じている”自分”という全体像の中で、何かによってカテゴライズされるものは、私の全てではないということを知っているから、「イコール私」と言い切ることに違和感があるのだ。
そもそも、診断というのは傾向分析だと思うので、白と黒の間のグレーの濃淡で結果を出しているようなものだと思っている。
私=○○という感覚は、白か黒か決めてしまうような感覚があるのかもしれない。
自分のことを、そんなに簡単に白黒決められないだろー!と思っている。
以前、ブログにも書いたけど「ジョハリの窓」なんて言葉があって
「ジョハリの窓」なんて言葉があるのですが、人には4つの側面があると言われています。
・自分も他人も知っている自分
・自分は気が付いてないけど、他人には見えている自分
・自分は気付いているが、他人には見えていない自分
・自分も他人も気付いていない自分
本来、人は多面的なものです。
人には4つの側面があると言われており、その一つは自分にも他人にもわからないのだそうだ。
そんなん、どう定義づけできるんや(笑)
思い返せば、自己紹介もめちゃくちゃ苦手である。
自己紹介なんて、「私は〇〇です」の連続じゃないか(笑)
このように、いちいち変に物事を深く考えすぎてめんどくさいのが私。
あれ、これは言い切れるな(笑)
(調べてみると、これもHSPの特性の一つだったりするそうだ→「考えすぎ」)
自分を知りたい、でもこれが自分と言いたくない矛盾
しかし、これって私の中での大いなる矛盾だなと感じることなのだけど
私は、ずっと自分が何者かを知りたかったんですよね。
人間誰しも、自分の事って一番自分がよくわからないものだと思うのですが
私は、長らく他人軸で生きてきた分、余計その感覚が強いのですよね。
そもそも、自分が何を好きで、何が大事で、何を信条に生きているのかとか、全くわからなかったんです。
それこそ、雲をつかむような感覚があった。
元来私は、わからないことをわかりたい、知りたいという気持ちが強いらしいので
興味を持ったもの(限定)について、あれやこれやと考えがちのですが
前述の通り、自分のことって、一番自分がわからないじゃないですか。
その時々によって、出てくる自分が違ったりするし。
だから、私にとっては「自分を知る」ということは、めちゃくちゃ難題かつやりがいのある取り組みだったんだと思うんですね。
で、客観的に自分を知るために、色んな診断テストを受けたり、占いで聞いたり、心理学を学んできたけれど
その反面、私は私を定義したくないという気持ちがある。
わかりたいけど、わかりたくない。
というよりも、知りたいけど、決めたくないって感じかな。
自分が何者かを定義するのは自分自身なのに、私はそれをしたくないという驚愕の事実…
なんだそれって感じですけど(笑)、そりゃ自分が何者かわからんよね、っていう。
逆に言えば、「結局は自分が何者かなんてよくわからないもの」ということがわかったのなら、それはそれで良くて
言うなれば、「自分が何者かを定義したくないのが私」ってことなんだと思う。
色んな診断結果や人の意見を聞いて
こういう傾向があるよね
こういう傾向もあるよね
こういう傾向があるのは知らなかったな
などと、あれやこれや自分の色んな側面を知っていくことで
その中の共通項などから、自分にとってのコアな価値観や生き様を垣間見れたら、それで十分なのかも。
よって、私はHSPと断言はできないけども、HSP的傾向はあるっぽい。
自分を定義づけたり、カテゴライズしたり、自分を決めつける必要は全くないけれど
自分の傾向や特性的側面から、自分の価値観や行動・思考パターンを客観的に知って、それを自分の生きやすさのために活かしていければいいよね、という結論になりました。
(そこから、HSPについての本を読むようになったら、クライアントさんと共に自己理解が深まってめっちゃびっくりしているナウ)
こういう「決めたくない」っていう感覚も、女性性的というかHSP的な気質ゆえな気がするんだよなぁ…
その辺も、私にとっては新たな気づきだったので、また別記事にしようと思います。
ではまた!
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